サクラノ詩 手紙

いたこウィトゲンシュタイン

 紫の煙は灰色の光だ。蝶が吸いこまれていった煙突の煙は灰色の光、この世に存在しない人の心にだけ存在する光だ。桜達の足跡Ver2.0は透明な白だな。あれは世界に存在しない透明な白を表した作品なんだよ、たぶん。


健一郎

 病気で生死の境にいるということもまた戦いだろう。その痛みに屈しないほどの仮象の幸福を謳うんだよ。棺桶に片足を突っ込んでなお幸福だと笑っている、それはただ一人だけの戦いだろうか。いや、それは今まで関わってきたものすべての意義を賭けた戦いだよ。敗れれば死が凱旋するだろう。時が笑っているならば、負けじと幸福だと笑い返してやる。これは今まで選択してきた事実のすべての是非を問う戦いだ。間違っていたなどと後悔はしない。死を友とすることができたならばそれで俺の価値なんだよ。俺は死と競合する。そして生をよりいっそう美しいものとして輝かせるのさ。死の間際まで俺は幸福を謳う。俺の人生、不幸だったと伝えてくれ! そんな冗談を飛ばしながら。良い生はここにある! これが俺の永遠の相だっっ。死にそうなのに楽しそうなんて狂ってるって? そうだよ、ハッピーなんて感情は基本狂っていることなんだよ。幸福を求めすぎたらだめなんだな。死も生もすべて肯定してやるんだよ。死は決して語れないが、人の心に存在するものとして表現することはできるよ。桜の花びらが燃えて砕ける? そんな意味は仮象の春色で染めてやればいい。意味を意義で覆い隠せばいいのさ。それは素晴らしき混乱だ。踊り狂え、混沌に飲まれろ。それでも空は桜の花びらで埋め尽くされているだろう。貴様らは俺の幸福への意志によって燃え尽き砕け散るだろう。別れは何の前触れもなくやってくることがある。それは桜の花びらのように儚いものとして受け取られるだろう。でも俺の死は約束された必然だ。それはありふれたものとして、平坦なものとして受け取られるのが正しい受け取られ方だよ。稟は芸術という枠を踏み越えて遠い世界に行ってしまうと思うのか? そうじゃないことをおまえは知っているんだろう? あいつが死ぬ時だって笑っていなきゃダメだ。異国の地で自殺なんて絶対にダメだ。誰にも知られない死は死んでいる。誰かに看取られてこそその生と死の瞬間は受け継がれていくんだ。おまえが俺の墓碑銘を刻んだように、あいつも他者の手によって葬られなければならない。あいつは今お前と競合しているのだろ? 距離が離れていても分かるんだよ。あいつはお前の構想の参考になるために描き続けてるんだろ。競合するだけなら故郷でもできるだろうにな。おまえの傍にい過ぎたら均衡が保てないのだろうな。おまえの博愛は圧倒的だからな。強い神とともに生きるというのもまた生死の境界に踏み込むものだ。そんな戦いを一人で続けていたら心がもたないだろう。ツバメやアサギマダラには帰ってくる大地が必要なのだからな。お前も分かっているのだろ? 美に呪われているとはいえ稟は普通の女の子だ。今でもお前のことを好いているんだよ。稟の絵はお前に宛てられた手紙のようなものだ。その返事を受け取るために、あの屋上へ来たのだろうな。


 燃え尽きるように書く。俺のすべてを今にぶつける。生ききる。誰にも負けないくらいに。どんどん先へ行くお前に追いつくために。おまえを喜ばせるために。見えないところで頑張っているお前のために。吹はお前の力を引き出すために対決したんだってな。それは競合というよりは、先導だな。あの子、稟ちゃんは俺たちよりすんごい遠くの限界まですすんでるんだよ。すんげぇなぁ……って、お前はそう思ってるんだろ? そうじゃないんだよ。俺も稟ちゃんもお前に追いつくために必死で走ってるだけなんだよ。おまえは誰よりもすごい天才なんだからさ。死を大地に眠るものか、透明な渦に吸いこまれるものかのたとえの違いってさ、つまり健一郎さんや俺と、稟ちゃんとの違いなんだよな。渦に吸いこまれるとどうなっちゃうんだ? 幸福じゃないんかな? 自殺ENDまっしぐらか? 稟ちゃんは知っていたみたいだったな。渦に呑まれることがひどく孤独なものだってさ。それは俺が目指した限界によく似てるよ。でも俺はお前がいる大地にいたかっただけなんだよ。それは稟ちゃんだって同じだと思うよ。お前はそう思ってないみたいだけど。おまえはお前のことが一番よく分かってないよな。周りの人間のほうがよく見てるんだよ。天才とは勇気ある才能のことだってやつな。あまり関係が深くないノノ未ちゃんだってお前のことそうだって言ってたな。おまえと関われば誰だってお前がすごいやつだって気づくんだよ。おまえのことが好きな稟ちゃんならなおさらだよ。おまえの天才性が人柄から来ていることを良く知っているんだよ。おまえがみんなのために作り、生きるように、みんなもお前のために作り、生きるんだよ。稟ちゃんはさ、俺の心をすべて継いでくれたんだよ。おまえもそうしてくれたように。俺はお前の心の中で生きて、稟ちゃんの心の中で生きてるんだよ。幸福の王子ってさ、異形の愛とか自己犠牲とかの話があったけど、あれはお前だけじゃなく稟ちゃんもそうなんだよ。強い神を宿したものがお前に恋しちゃいけないんだよ。でも稟は今でもお前のことを好きだよ。だから、俺の心を継いで、お前のためだけに描いているんだよ。世界のてっぺんを取るっていう俺たちの夢を叶えるためにさ。


 私は可能性の中に住んでいる――そうではない。強い神の世界に可能性などない。美しい人々とはあなたと雫と健一郎さん。私に他者を教えてくれた素晴らしい人。あの議論の中で、私は嘘をついていた。強い神の絶対性を証明するために説得力のある材料を持てる知識から引き出した。でも、私があなたの愛を知っているという事実は強い神をもってしても消え去ることはない。そんな世界は完全じゃない。私はほころびを抱えたまま生まれ変わった。あなたに出会わなければ私は今と同じように描き続けただろう。でも、そこにある作る意味にあなたを含めた他者はいなかっただろう。あの議論に意味はあったのかな。私は嘘をついてあなたの議論の展開を手伝っていただけなんだ。私が言うことは初めから決まっていた。決して弱さを見せてはいけない。するとあなたは弱い神に辿り着いた。それもあらかじめ予想されたこと。私は確かめたかった。あなたがあなたのままであることを。そしてそれが、私の書き続ける意義になるだろうということを。意味そのものを求めているのに、心が他者の意義に満たされているのはおかしなことだけど。散文より立派な家――美の巨大な神殿。窓数もずっと多く――ものは美を認められて初めて発見される。戸も一層すぐれている――私の目はそうすることができる。それぞれの部屋には目も浸せない西洋杉――美は見られて存在するのではなくあらかじめ存在している。訪問者は美しい人々だけ――私に友人はいない、競合する相手もいない、私はあなたを扇動する。そして私の仕事はこの小さい手をいっぱい広げて天国を掴むこと――未完の作品である私が神と無限によって完成される。――ディキンソンの詩を私はそう解釈した。でもこの詩はあなたのために読まれたものだった。健一郎さんも死の帝国に書かれた一節を諳んじていた。なるほどね、と納得していたけど、それはゴーギャンと同じ意味でかな。彼は未完である自分が、天才でありながら人間として生きている自分が、いかにして神と無限によって完成されたものとして満たされると思ったのだろう……生き方か。芸術によって完成しようとする私とは違う。健一郎さんは死の瞬間まで幸福を謳い続けることによって自らの生が完成するのだと了解したのだ。私は彼とは違い芸術によって完成された作品とならなければならない。世界より先に美が存在していること、その絶対的な正しさを、そうでないと知りながら、それでも示さなければならない。私は行かなければならない。


『墓碑銘の素晴らしき混乱』

死の意義は混乱するが、死の意味は混乱しない。
忘れ去られた死は死んでいる。死は想われたときに生を受ける。
言葉にできない死は、研ぎ澄まされた意義として現れる。
死は人に見られることによって存在する。人は死を見ることはできない。
生死を選択することはできない。呪うことも祝福することもできない。
地の底の死は生を与えられ、水の底の死は死んでいる。
水の底の死は旋律によって浮上し、櫻によって空に向かう。
死は雲となり雨となって降り注ぐ。地の底に降る雨には心が宿る。
死の意味は、死の意義によって満たされる。
雨は在りし日のために降る。