サクラノ詩 あいのあしおと

 梯子を登りきった空高く、高い円柱の上に、幸福な王子の像が立っている。そこから見下ろす街並みは、どこでもないところからの眺望にも似て、痛みもなく、苦しみもない。この街は白い桜の森と黒い糸杉の森に囲まれていて、東西を流れる川の河口から広がる海が、どこからでも見える。いつでも見える海。涙に見透かされる海。
 かつてこの街は駅の周辺までが海であったらしい。それが十数年前に大量の砂が運び込まれて埋め立てられた。当時は真っ白だった砂も、透き通っていた海も、今は醜く、汚い。人口の海岸線からは、丘に立つかれらの学園が見える。すべてが単純で、すべてがきらきらしていて、すべてが恋する経血と精液に満たされている、かれらの生活排水はあまさず海に流れ込んでゆくだろう。
 風向きによって、火葬場の煙のにおいがする。人が焼けるにおいなどはしない。無機質なにおい、ガスやオイルのかすかなにおいだ。それとともに、葦が風に揺れてさわぎだす。ツバメが舞い降りた河原の土が柔らかい場所には、セイタカアワダチソウが生い茂っていて、よく猫の死骸が転がっていたりする。
 かれらが暮らしている街、その風景はだれに見られなくても実在する。しかしその風景はだれかに見られることによって生まれ変わる。かれらは同じ場所から、同じ風景に出会う。偶発的な奇蹟として。あるいは必然的な世界として。
 真綿でできた箱庭に踊る王子。なんの感動も与えない日常の物語。そこには決定的な行為としての意志があり、勇気はかくあるべき勇気としてある。まるで恐れを知らず、痛みをものともしない英雄のようにふるまい、見えない敵に囚われた王女をかならず救う。真っ赤なルビーは病弱な娘へ、ふたつのサファイアは屋根裏の陶芸家と夢想家の少女へ、金箔のかけらは無貌の姫と不幸な人々へと。送り届けるたびに切り裂かれる身体に、王子は祈りを込めてささやく。幸福に生きよ。
 あらかじめ失われた子どもたち。すでになにもかも持ち、そのことによってなにもかも持つことを諦めなければならない子どもたち。無力な王子と王女。深みのない、のっぺりとした書き割りのような戦場。かれらはべつになんらかのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠のなかにたたずみ続けるだけだ。
 実際はこう。英雄の意志は脆く、失ってばかりいることに耐えられない。いつだって決断するときは震えている。痛みも苦しみもここにある。そしていつか後悔する。沈黙を破った英雄は放蕩する王子に等しい。その時はまだ、なにを信じればいいのか、美とはなんであるかが分からない。
 惨劇は起こる。
 しかし、それはよくあること。よく起こりえること。向日葵の花びらが散るように。むしろ、穏やかに起こる。ごらん、窓の外を。すべてのことが起こりうるのを。
 ツバメが王子の見る風景に出会うことは二度とないだろう。しかし王子はツバメが見た風景と同じ風景に出会うことができるだろう、何度となく。そしてみんなはそのことをゆるやかに忘れてゆくだろう。雨が降り、桜が散り、透明な渦の下に沈むように。そしてみんなは決して忘れないだろう。どこまでも続く足跡のように。

  平坦な戦場でぼくらが生き延びること。

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